新陰流二十世
柳生厳長
新陰流二十一世
渡辺忠敏
新陰流二十二世 渡辺忠成
新陰流二十三世 渡辺忠久 |
「柳生厳周」
尾張藩最後の新陰流師範柳生厳周【としちか】は、21歳にて、父厳蕃ならびに兵法補佐長岡権六房躍より正統十九世の印可を承け、尾張藩剣術教導総裁も勤めました。維新の荒波を切り抜け、その後も新陰流の遺伝に努めました。
「柳生厳長」
二十世柳生厳長【としなが】は、近衛師団師範等を勤め、戦後は柳生会東京月例会および著書『正傳・新陰流』において伝書等を公開するなど、新陰流の遺伝・弘流に努めました。
「渡辺忠敏」
渡辺忠敏【ただとし】は、大正6年(1917)柳生厳周に入門、厳周引退後は柳生厳長に師事し、厳長の晩年にはその補佐役を勤めました。
柳生厳長より新陰流の後継者に指名され、新陰流兵法二十一世となる。新陰流兵法転会他において新陰流を指導。
著書に『新陰流兵法太刀伝』・『柳生流兵法口伝聞書』があります。
「渡辺忠成」
渡辺忠成【ただしげ】は、昭和44年(1969)1月、新陰流兵法転会を結成し、新陰流の弘流・顕彰の活動を始めました。
昭和47年(1972)、新陰流の道統を継承し、新陰流兵法二十二世となる。現在も新陰流兵法転会において鋭意活動中です。
「渡辺忠久」
渡辺忠久【ただひさ】は、平成22年(2010)1月、父忠成より新陰流の道統を継承し、新陰流兵法二十三世となる。
日本の伝統文化である流儀武道の真成なる遺伝を志し、新陰流兵法転会による新陰流弘流・顕彰活動の活性化および、流祖上泉伊勢守、長岡桃嶺先師等の醇正なる顕彰活動の実現を目指して鋭意活動中です。
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